太田昭生写真展「溶融の時(ハンセン病療養所大島)」 |
映画の世界では見たことあるけれど、実際、このような重い歴史があったのですね。瀬戸内海の小さな島に、それはあり、連れて行かれる時も一般の方とは別にされてたとは! 中には、無理やり、妻子と引き裂かれた方もいました。
どんなに胸痛むことでも、風化する前に、キチンと形にとどめておくこと。…写真家・太田昭生の勇気とジャーナリズム精神を感じました。
らい予防法が廃止された1996年(平成8年)、大島を訪問した作者は、その島で隔離され続けた人たちの歴史「生きた証」を撮影した。
その後、15年ぶりに島を訪れると人口は100人以下になっていた。撮影した人たちも三分の二以上が亡くなり、入園者の平均年齢も82歳を超え、人口の激減と高齢化により、人類共通の「老い」と「死」の問題が迫っていた。
10年後、20年後の大島を想像したくない。島内で亡くなった人、全員が眠る納骨堂は誰が守るのか。入園者で陶芸家の山本隆久さんは、自分の骨壺を制作しているそうだ。
天寿を全うして死を迎えようとしている彼らの何を撮ればよいのか。
時間はすべての者に平等だが、時として短くも長くもなり、風化もし、不条理でもある。
大島の撮影は時間と人間の生き様を考えさせてくれる。日本におけるハンセン病の対応、島民の高齢化、意識の風化、何よりもそこで生活させられた「生きた証」さえも飲み込んでいきそうで、残酷である。モノクロ53点。