2006年 01月 25日
そうだったのか! (村上春樹、河合隼雄に会いにいく) |
ある時期、とても興味を感じ、「心に響く」ものがあったものを再読してみると、いろいろな発見があって興味深いですね。
「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」を、なにげな~く、ぺらぺらページをめくってて、思わず読みいってしまいました。
ちょびっと本筋からは離れてしまい、申し訳ないのですが…
たしか、村上春樹って、かなりの聞かされ体質(!)みたいで、エッセイや小説世界からも、それをうかがわせる部分、多々。(逆に、それが蓄積して澱のようになってしまう痛し痒しから、虚構世界を紡ぎだし、昇華させている、みたいな記述に「なるほどなぁ…」)
同じように、各方面で熱烈信者をもつ河合隼雄もまた、その手の名手!
その河合隼雄の「聞き上手さ」ぶりをして、けっして「自分が(過剰に)話しすぎない」「相手のハナシを誘導しない」ってな部分を指摘してたのに「をををっ!」 ちょっと、目から鱗が落ちるものがあったです。
私、ずっと話し下手がコンプレックスでした。
トホホなほどに「空気を読む」のがダメダメで、頭の回転が遅いため、場の空気をさっと読んで、盛り上げる、気の利いた台詞をくりだす、なんて、夢のまた夢。ほとんど神業です。リアル・ワールドでも、テレビの中でさえ、そういう才覚のある方を、尊敬と憧れの念を込めて、うっとり眺めてしまうばかり。
でも、なぜか昔から「話を聞く」展開になることは多かったのですが、ちっとも聞き上手じゃなかったなぁ、と後悔するばかり。だって、やっとレスポンスが浮かぶ頃は、既に話題は、次のまた次ぐらいに移ってて、「言ってあげたかった」言葉が積もるばかり。集団の場合も、1対1のケースも。ぐすっ
(だから、ネット時代になって、個人的には超・ラッキー♪)
ほとんど偶然ながら「それは、それで、ヨカッタの… かな?」と思えて、はじめて過去に対して大いに安堵させられたのでした。なんだか、ひどく安心するものがあった次第。
こういうことがあるので、琴線ブックは、歳月をへて再読してみると、また味わい深いですね。
まだまだ「今だからこそ見える発見が多々」の予感に、ワクワク
「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」を、なにげな~く、ぺらぺらページをめくってて、思わず読みいってしまいました。
ちょびっと本筋からは離れてしまい、申し訳ないのですが…
たしか、村上春樹って、かなりの聞かされ体質(!)みたいで、エッセイや小説世界からも、それをうかがわせる部分、多々。(逆に、それが蓄積して澱のようになってしまう痛し痒しから、虚構世界を紡ぎだし、昇華させている、みたいな記述に「なるほどなぁ…」)
同じように、各方面で熱烈信者をもつ河合隼雄もまた、その手の名手!
その河合隼雄の「聞き上手さ」ぶりをして、けっして「自分が(過剰に)話しすぎない」「相手のハナシを誘導しない」ってな部分を指摘してたのに「をををっ!」 ちょっと、目から鱗が落ちるものがあったです。
私、ずっと話し下手がコンプレックスでした。
トホホなほどに「空気を読む」のがダメダメで、頭の回転が遅いため、場の空気をさっと読んで、盛り上げる、気の利いた台詞をくりだす、なんて、夢のまた夢。ほとんど神業です。リアル・ワールドでも、テレビの中でさえ、そういう才覚のある方を、尊敬と憧れの念を込めて、うっとり眺めてしまうばかり。
でも、なぜか昔から「話を聞く」展開になることは多かったのですが、ちっとも聞き上手じゃなかったなぁ、と後悔するばかり。だって、やっとレスポンスが浮かぶ頃は、既に話題は、次のまた次ぐらいに移ってて、「言ってあげたかった」言葉が積もるばかり。集団の場合も、1対1のケースも。ぐすっ
(だから、ネット時代になって、個人的には超・ラッキー♪)
ほとんど偶然ながら「それは、それで、ヨカッタの… かな?」と思えて、はじめて過去に対して大いに安堵させられたのでした。なんだか、ひどく安心するものがあった次第。
こういうことがあるので、琴線ブックは、歳月をへて再読してみると、また味わい深いですね。
まだまだ「今だからこそ見える発見が多々」の予感に、ワクワク
by noho_hon2
| 2006-01-25 10:08
| 本、雑誌
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