2006年 06月 15日
指揮者のパワー |

指揮者といって思い出すのは…
小学校の頃、なりゆきから合奏クラブに所属
教頭先生が熱心だった関係もあって、2年ばかり夏休み返上!で練習。コンクールにもでた経験があるのですが、(担当:アコーディオン)
いつも指導してくださる音楽の先生(女性)と、その筋では、かなり有名だったらしい教頭先生とでは、全然、弾く時の気分やノリも違うし、耳でも、そのように感じたのですが、実際。録音したものを聴いてみると、びっくりするぐらい、引きだされる音自体、ほとんど別物!だったのに感動おぼえたのでした。
棒振りひとつに見えて、もろに指揮者の性格がでてたのに、びっくり
(音楽の先生は、とても細かいところに気が回る、繊細なタイプで、どちらかというと教頭先生は、ぐいぐい引っ張る、ダイナミックな性分)
なにかのインタビューで読んだ有名指揮者と対談での台詞。
「指揮者はね。人を押しのけてでも、前に前にでるぐらいのパワーが必要なんですよ。私なんか、他の人が指揮してるのを聴いてると、思わず殴り倒して、自分が指揮台に立ちたい欲求にかられてならない…」と笑ってたのに、大いにウケた記憶あります。
しみじみと、指揮者とは、そのオーケストラの監督さんもでもあるんですね。
噂では度重なる病と闘いつつも、不屈の精神で頑張ったのだとか。話ができなくなっても、なお無意識のうち、病床の手は「タクトを振ってる風だった」エピソードに胸が詰まりました。
心より、ご冥福をお祈りします。
by noho_hon2
| 2006-06-15 09:12
| 日々のメモ
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タイトル : 指揮者の引き際 ― 岩城宏之を偲ぶ
この前の日曜日、外出から帰ってきてテレビをつけると「N響アワー」の時間だった。すでに番組は終わりに近かったが、黛敏郎が作曲した『BUGAKU(舞楽)』第2部の演奏がちょうど始まるところだったので、ぼくは着替えるのもそこそこにテレビの前に陣取った。この曲の演奏風景に出くわすのは、めったにないことだったからである。 このところクラシック音楽に耳を傾ける時間はずいぶん少なくなってしまっているが、そんな中でも最近はなぜか『BUGAKU』のCDをよく聴いていた。おそらく白洲正子についての記事を執筆するにあ...... more
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