2006年 07月 27日
おばあちゃん (トトロとハウルに思ふ) |
大人になる醍醐味。それは、親戚話というか、子供の頃は、まるで昔話か神話のように(!)はるかに感じられたエピソードが、経験と想像力によってビビッドに蘇り、いろいろな側面が見えてきて、立体的に浮かび上がること、かもしれませんね。
かなり遅く生まれた子だったので、ものごころついた時。生きているご先祖様は母方の祖母ひとりでした。
この祖母というのが、じつにパワフル・おばあちゃん!
私が、幼稚園から小学校にあがる時。九州から瀬戸内に引っ越したのですが、母が過労のあまり倒れてしまい、医者にみてもらったところ、余病が見つかり、そのまま入院。
とくに、慣れない環境に加え、家の緊急事態が重なり、心細いキモチで眺める風景は、いっそう、ドキドキです。
それまで、アメリカを忠実に再現した、かなり特殊な環境で暮らしてたもので、古い農家の家屋周辺や、ジャパニーズな風景は、ほとんどワンダーランド。
たんぼの広がる風景や土間に目をみひらき、カエルの鳴き声に驚き、下校してから父が戻ってくるまで面倒をみてくれた隣家の、障子や縁側、チャボが珍しくて、しげしげ。
ほとんど、トトロ・ワールドを地でいったのでした。
そんな中。「すわ、ひとり娘(母)の危機っ!」と、かけつけてくれたのが、おばあちゃん。
ただ、惜しむらくは、何不自由ないお嬢様として長じ、イロイロあった事情と、激動の時代を生き抜いた自信が、その気丈さとマイペースに拍車をかけてしまい、思いっきり食文化で衝突してしまったのでした。
当時の私は、今にして思えば、環境の変化と心細さからくるストレスで、偏食炸裂。数えるほどのメニューしか喉を通りません。しかし、譲ることを知らない祖母の食事は、おみおつけと酢の物。ほとんどはしをつけることもできず、父が戻ってくると2人して、しくしく泣いてたとのことでした。
祖母は祖母で「一体。どういう教育をしてるんですか? 私の作ったものを食べないとは…」とプンスカプンで、私は私で「だって… こういうのしか無いんだもん…」と、ひっくひっく。
仕方なく父が、残り物で、しゃかしゃか焼き飯をつくると、喜んで私がパクパク。
それを見た祖母は、ますます機嫌をそこね「わたしゃ、帰る!」 そのまま、止めるのも聞かず、荷物をまとめて、帰ってしまったのでした。ひゅるる~~っ
その翌年も、祖母の家出騒動で、突然、あらわれた時は仰天。
大人達が上に下にの大騒動してる中。祖母は、「ふんっ!」とばかり悠々とお風呂に入ってた姿が、なぜか、ひどく印象に残ってます。
やがて、私が思春期の頃。母は祖母の看病のため、幾度も、大きく家を留守にし、学生時代に亡くなりました。
生まれて初めての近親者のお葬式は、すべてがドキドキだったですが、ぼんやりしてたら、地元のご老人が「おばあさんはね。若い時は、それはそれはキレイで、私達の憧れだったんだよ…」と、うっとりした表情に「へ~ぇ」
大人になるにつれ、なにかの折。いろいろな方(親戚等々)から、いろいろなエピソードをうかがうのですが、それぞれ「知ってる側面」が、かなり違うもので、これもまた興味深くて…
女学校時代、地元の御曹司に見初められて最初の結婚をしたこと。でも気丈な性格と、お姑さんの「じつは、違う相手と結婚させたかった」思惑が、ことあるごとに衝突し、結局。大きな旧家を、飛び出してしまったこと。激動の時代、はるかな場所からやってきた相手と恋におち、2度目の結婚したこと。
とくに母は、長女なもので、少女時代の両親の離婚と貧困生活。幼少時から、幼い弟達の世話に明け暮れ、進学も諦め、早くから一家の大黒柱になった事情。密かに、祖母の世間知らず部分に泣かされたところも少なからずあったみたいで、愛に、かなりのトホホが混じってるみたいなのですが (結婚も大反対だったみたいだしね)
叔父達は男性なので、やはり「母親は神聖」なんだなぁ、と「……(^。^;)ヾ」
お嫁さん(叔母)達は、おそらくポリポリの連続だったろうけれど、「でも、可愛い女性でしたよね」と笑ってたのが、ちょっとイイなぁ、と感じたり
祖母の歴史は終わってしまったし、かつては、それこそ「老・ソフィーの顔」しか知らない状態だったのですが、残された者の中で、こういう風に生き続けてます。
それに、私のように、遅ればせながら「少女時代や、18歳の頃。2度の新婚時代って、どんなだったんだろ?」と想像する人間もでてくる訳で… それはそれで、ひとつの魔法であるのかな? それもまた「いいもんだなぁ」と感じてしまったのでした。
これから、お盆にかけ、なにかと縁ある方々と再会することの多い季節。
たとえ、その時点では退屈でも、謎解きヒント集め気分で「耳を傾けて」みませんか?
長話におつきあいくださり、本当にありがとうございました。
かなり遅く生まれた子だったので、ものごころついた時。生きているご先祖様は母方の祖母ひとりでした。
この祖母というのが、じつにパワフル・おばあちゃん!
私が、幼稚園から小学校にあがる時。九州から瀬戸内に引っ越したのですが、母が過労のあまり倒れてしまい、医者にみてもらったところ、余病が見つかり、そのまま入院。
とくに、慣れない環境に加え、家の緊急事態が重なり、心細いキモチで眺める風景は、いっそう、ドキドキです。
それまで、アメリカを忠実に再現した、かなり特殊な環境で暮らしてたもので、古い農家の家屋周辺や、ジャパニーズな風景は、ほとんどワンダーランド。
たんぼの広がる風景や土間に目をみひらき、カエルの鳴き声に驚き、下校してから父が戻ってくるまで面倒をみてくれた隣家の、障子や縁側、チャボが珍しくて、しげしげ。
ほとんど、トトロ・ワールドを地でいったのでした。
そんな中。「すわ、ひとり娘(母)の危機っ!」と、かけつけてくれたのが、おばあちゃん。
ただ、惜しむらくは、何不自由ないお嬢様として長じ、イロイロあった事情と、激動の時代を生き抜いた自信が、その気丈さとマイペースに拍車をかけてしまい、思いっきり食文化で衝突してしまったのでした。
当時の私は、今にして思えば、環境の変化と心細さからくるストレスで、偏食炸裂。数えるほどのメニューしか喉を通りません。しかし、譲ることを知らない祖母の食事は、おみおつけと酢の物。ほとんどはしをつけることもできず、父が戻ってくると2人して、しくしく泣いてたとのことでした。
祖母は祖母で「一体。どういう教育をしてるんですか? 私の作ったものを食べないとは…」とプンスカプンで、私は私で「だって… こういうのしか無いんだもん…」と、ひっくひっく。
仕方なく父が、残り物で、しゃかしゃか焼き飯をつくると、喜んで私がパクパク。
それを見た祖母は、ますます機嫌をそこね「わたしゃ、帰る!」 そのまま、止めるのも聞かず、荷物をまとめて、帰ってしまったのでした。ひゅるる~~っ
その翌年も、祖母の家出騒動で、突然、あらわれた時は仰天。
大人達が上に下にの大騒動してる中。祖母は、「ふんっ!」とばかり悠々とお風呂に入ってた姿が、なぜか、ひどく印象に残ってます。
やがて、私が思春期の頃。母は祖母の看病のため、幾度も、大きく家を留守にし、学生時代に亡くなりました。
生まれて初めての近親者のお葬式は、すべてがドキドキだったですが、ぼんやりしてたら、地元のご老人が「おばあさんはね。若い時は、それはそれはキレイで、私達の憧れだったんだよ…」と、うっとりした表情に「へ~ぇ」
大人になるにつれ、なにかの折。いろいろな方(親戚等々)から、いろいろなエピソードをうかがうのですが、それぞれ「知ってる側面」が、かなり違うもので、これもまた興味深くて…
女学校時代、地元の御曹司に見初められて最初の結婚をしたこと。でも気丈な性格と、お姑さんの「じつは、違う相手と結婚させたかった」思惑が、ことあるごとに衝突し、結局。大きな旧家を、飛び出してしまったこと。激動の時代、はるかな場所からやってきた相手と恋におち、2度目の結婚したこと。
とくに母は、長女なもので、少女時代の両親の離婚と貧困生活。幼少時から、幼い弟達の世話に明け暮れ、進学も諦め、早くから一家の大黒柱になった事情。密かに、祖母の世間知らず部分に泣かされたところも少なからずあったみたいで、愛に、かなりのトホホが混じってるみたいなのですが (結婚も大反対だったみたいだしね)
叔父達は男性なので、やはり「母親は神聖」なんだなぁ、と「……(^。^;)ヾ」
お嫁さん(叔母)達は、おそらくポリポリの連続だったろうけれど、「でも、可愛い女性でしたよね」と笑ってたのが、ちょっとイイなぁ、と感じたり
祖母の歴史は終わってしまったし、かつては、それこそ「老・ソフィーの顔」しか知らない状態だったのですが、残された者の中で、こういう風に生き続けてます。
それに、私のように、遅ればせながら「少女時代や、18歳の頃。2度の新婚時代って、どんなだったんだろ?」と想像する人間もでてくる訳で… それはそれで、ひとつの魔法であるのかな? それもまた「いいもんだなぁ」と感じてしまったのでした。
これから、お盆にかけ、なにかと縁ある方々と再会することの多い季節。
たとえ、その時点では退屈でも、謎解きヒント集め気分で「耳を傾けて」みませんか?
長話におつきあいくださり、本当にありがとうございました。
by noho_hon2
| 2006-07-27 09:34
| 雑感
|
Trackback(1)
|
Comments(6)
Tracked
from 船橋
at 2006-08-29 14:48
Commented
by
ハート
at 2006-07-27 18:37
x
文字に吸い込まれます
時が戻り、風景を想像することができる文章表現です、
だからついつい「毎日」おじゃしてしまします。
これからも楽しみにしてますよ。
時が戻り、風景を想像することができる文章表現です、
だからついつい「毎日」おじゃしてしまします。
これからも楽しみにしてますよ。
0
こんばんは☆
私は 母方のおじいちゃんが大好きでした
震災の前に亡くなったんだけど もっといろんな話を聞いておけば良かったなあ~って思います
時折 かーちゃんから話を聞くんですが
「おじいちゃんがおばあちゃんに一目ぼれして アタックしまくった」
「結婚式当日 おじいちゃんは遊郭(?)に行ってた」
なんて聞くと もうわくわくします♪
明治生まれのおじいちゃん なかなかの洒落もんだったらしく
ゴルフウエア着てる写真があるんですよ
おばあちゃんが亡くなってからも すぐガールフレンドが出来たり♪
のほほんさんのお話で おじいちゃんを思い出してしまいました
また夢に出てきてくれないかな~~~~☆
私は 母方のおじいちゃんが大好きでした
震災の前に亡くなったんだけど もっといろんな話を聞いておけば良かったなあ~って思います
時折 かーちゃんから話を聞くんですが
「おじいちゃんがおばあちゃんに一目ぼれして アタックしまくった」
「結婚式当日 おじいちゃんは遊郭(?)に行ってた」
なんて聞くと もうわくわくします♪
明治生まれのおじいちゃん なかなかの洒落もんだったらしく
ゴルフウエア着てる写真があるんですよ
おばあちゃんが亡くなってからも すぐガールフレンドが出来たり♪
のほほんさんのお話で おじいちゃんを思い出してしまいました
また夢に出てきてくれないかな~~~~☆
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by
みふゆ
at 2006-07-27 23:14
x
この2月に亡くなった母方のおばあちゃん、98でしたのでもうしわくちゃでしたがとってもかわいくて、10代で奉公に出てた頃の写真を見ると山口百恵に似てたんですよ(孫のひいき目か?(^^;)
Commented
by
noho_hon2 at 2006-07-28 07:24
ありがとうございます>ハートさん。こちらで、ふと浮かんだ風景が、電話線を通じ、彼方な場所で再現されるだなんて… なんてロマンチックなことなんでしょ。これからも、どうぞ、よろしくお願いしますね (^-^)
Commented
by
noho_hon2 at 2006-07-28 07:26
こんにちわ、きららさん。ハイカラで粋なおじいちゃんだったんですねぇ。素敵素敵… そういう、生き生きとしたご先祖様の存在って、なんか、生きる勇気さえわいてくる気がしません? 思わず私もファンになりました。また、「夢で逢える」とイイですね
Commented
by
noho_hon2 at 2006-07-28 07:30
みふゆさん、こんにちわ。若い頃は山口百恵似で、高齢になっても、とても可愛く、孫に、うんと愛されて… なんてアッパレな生涯なんでしょう。きっと、「ををっ!」というナイスなエピソードが沢山ありそうですね。思わず、想像の翼を広げてしまったのでした。うっとり(^。^*)